大嶋宏成・若い頃はどんな人だった?刺青ボクサー時代の戦績は?

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2024年8月、元ボクサーの大嶋宏成さんと、女優の吉田美佳子さんが結婚したとの発表がありました。

大嶋宏成さんは以前「刺青ボクサー」として人気を博していました。

そんな大嶋宏成さんは若い頃どんな方だったのでしょうか。

また、ボクサー時代の戦績はどうだったのでしょうか。

まとめてみました。

目次

大嶋宏成が結婚を発表

二人は昨年の夏から交際を始め、吉田美佳子さんの誕生日、3月30日に結婚届を提出したそうです。

大嶋さんは49歳、吉田さんは25歳、24歳差で愛を実らせました。

画像引用:日刊スポーツ

日刊スポーツの取材に対し、吉田さんは

「一目ぼれです。こんなにまっすぐで心がきれいな人いるんだなと思いました。」

引用:日刊スポーツ

と語っており、大嶋さんは

「彼女はとにかく穏やかで前向き。こんなに優しい人がいるんだなといまだに感動しています。」

引用:日刊スポーツ

と語っています。

大嶋宏成の若い頃・ボクサーになる前

そんな大嶋宏成さんですが、若い頃は相当波瀾万丈な人生だったようです。

幼少期から振り返ってみます。

幼少期

大嶋さんが2か3歳の頃に両親は離婚しています。

おじいちゃん、おばあちゃんに預けられた大嶋さんは、おじいちゃん、おばあちゃん、弟、いとこのお姉ちゃんの5人で生活をしていました。

小学生、中学生時代は野球に取り組んでいた大嶋さん。

その頃は、プロ野球選手になることを夢に見て、勉強はそっちのけで、野球と遊びに夢中になっていたそうです。

中学卒業後・組事務所に出入り

中学生時代、野球をしていた大嶋さんは甲子園に行きたいと高校受験をしますが、全く勉強をしていなかった為、高校受験に失敗してしまいます。

いわゆる中卒ニートになってしまいました。

徐々に悪い仲間と仲良くするようになり、暴力団の事務所にも出入りするようになります。

事務所では、雑用などの仕事も手伝うようになっていったそうです。

15.16歳で刺青を入れる

その後15か16歳の時、これが自分の一生の仕事だと刺青も入れたそうです。

しかし、16歳の時に障害事件を起こし少年院に入ります。

少年院の中で、おじいちゃん、おばあちゃんが、大嶋さんのことを大変、心配していると知りました。

また、暴力団に入る前に2.3カ月通っていたボクシングジムの会長から「お前は素質とセンスがある」と言われたことを思い出します。

大嶋さんは少年院の中で、「ボクシングの世界でやってみたい」と考えるようになっていったそうです。

当時の組の親分さんも「若いんだしボクシングをやってみろ」と背中を押してくれたそうです。

ボクサー時代

1年半の少年院生活を終え出所した大嶋さんは、本格的にボクシングを始めます。

環境的に地元に戻っては良くないと、少年院退所後は大阪に引っ越し、名門「大阪帝拳ジム」に入門するも、長続きせず、東京に引っ越し輪島功一さんが経営する「輪島ジム」に入会します。

刺青を消しプロデビュー

「輪島ジム」でトレーナーに呼び出された大嶋さん。

刺青を見せると、このままでは試合に出られないと言われてしまいます。

すぐに病院を探し、胸の刺青を隠すために手術を受けることにします。

手術の内容は、臀部と太ももの皮膚を胸に移植するというものでした。

手術は無事終わったものの、移植した皮膚がずれてしまうので、半年は運動をしてはいけないと医者から言われてしまったそうです。

半年の休養を経てからの大嶋さんは死にもの狂いでボクシングに打ち込み、1997年にデビューをします。

少年院を出てからデビューまで、5年の歳月が経っています。

大嶋さんは「刺青がなければ、もっと早くデビューできただろうが後悔はしていない。」と語ります。

アルバイト

ボクシングだけでは、生活できない大嶋さんはアルバイトをしていました。

朝と夕方に配送の仕事をしていたそうです。

その間の昼間にボクシングの練習をしていました。

毎月18万円ほどの収入があったそうですが、お米は茨木の実家から送ってもらっていたのだそうです。

練習時間を増やすと、稼ぐ時間が減ってしまうのが悩みだったとか。

戦績

1997年7月21日、デビュー戦をKO勝利で飾った大嶋さん。

デビューから2戦目もKO勝利します。

翌年1998年11月に東日本新人王になります。

翌12月には西日本新人王との新人王決定戦に勝利し、全日本新人王に輝きます。

新人王に輝いてからは、ボクシングだけで生活ができるようになったそうです。

その後も勢いは止まらず、デビューから11連勝を飾り日本ランク1位になります。

2000年2月21日、日本ライト級王者リック吉村に挑戦しますが0ー3の判定負けで王座獲得を逃してしまいます。

このころの大嶋さんはメディアにも大きく取り上げられていました。

特異な経歴と刺青を消してまで、ボクシングをしていたからです。

闘志を全面に出した、アグレッシブなファイトスタイルが私も大好きでした。

2001年12月10日、OPBF東洋太平洋スーパーライト級王者佐竹政一に挑戦し、12回KO負けを喫します。

2005年8月4日、日本スーパーライト級王者木村登勇に挑戦し、4回TKO負けで王者獲得なりませんでした。

この試合を最後に、3度の網膜剥離を経験した大嶋さんは引退しています。

戦績は27戦21勝(13KO)5敗1分

引退後、現在

画像引用:VICTORY

引退後はボクシングジムを経営。本格的にジムを大きくしようとしてた矢先、コロナ禍になってしまい、やむなく閉店したそうです。

現在、居酒屋と立ち食いそば屋を経営されているそうです。

居酒屋は杉並区の上井草で「いきや」という居酒屋です。

食べログには「優しい接客と美味しい料理で、いつも常連さんで賑わっている」との書き込みがありました。

網膜剝離を3回経験しており、現在は右目が見えない中で、お仕事を頑張っているそうです。

今後の計画

大嶋さんの元には今でも「本格的にボクシングを習いたい」、「世界チャンピオンになりたい」という若者が来るそうで、一緒に夢を追うためにもう一度ジムを立ち上げようと計画しているそうです。

若者の夢を叶えるため、一緒に夢を追うためにもう一度ジムを立ち上げようなんて、とても感動しました。

夢が叶うことを祈っています。

まとめ

いかがだったでしょうか。

今回は元刺青ボクサーの大嶋宏成さんの若いころと、現役時代の戦績についてまとめてみました。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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